モノを持つと人はモノに所有される過去の価値観から脱却せよ

 インターネットの登場前後で大きく変化した価値観があります。それは「所有」ついての価値観です。インターネット登場前は、所有することが豊かさの象徴でした。しかし、インターネット登場後、あらゆるものをシェアすることに価値を置く時代が訪れました。モノを持つことで人間がモノに所有されてしまう、というパラドックスに多くの人が気づき始めたのです。

モノを所有することが古い価値観となり始めている


 これまでの時代においては、家や車を持つことが豊かさの象徴とされていました。一方で、モノを所有することについて本質を求める一部の人達は、必要な時に必要なモノをシェアやレンタルで済ませるスタイルを選択し始めています。

 ちなみに私の親族が最近、家を購入しました。念願のマイホームは駅前のきれいな高層マンションです。

 嬉しそうな彼の顔を見て、私も心から祝福の言葉をかけたのですが、彼は笑顔を見せながらこう言いました。

 「これから返済が大変だ。仕事も絶対に辞められないよね(笑)」と。

 半分冗談めいていたものの、自虐的にそう語った彼には、「重いものを背負ってしまった」という感覚があったのでしょう。

モノは持てば持つほど、いつしかモノの奴隷になる


 ロバート・キヨサキ氏の著書、「金持ち父さん貧乏父さん」の一節に「家や車は支出を増やす負債だ」とあります。

 一般的には資産と言われる家や車であっても、見方によっては負債だというわけです。「はたして家や車は資産か?負債か?」という結論はさておき、モノを持つことはものに所有される側面があるのは間違いありません。

 あなたがいつも使っているスマホを考えてみてください。人によってはスマホのペットのようになってしまっています。せっせと大切なお金を払い続け、傷つけまいと高いケースに入れて使い、電池がなくなれば充電をしているわけです。

 あなたは今のスマホを手にする前に、これほどまでに時間と手間暇をかけるつもりで買いましたか?おそらくそうではなかったと思います。でも、実際にスマホを手にしたことで、すっかりスマホの奴隷のようになっている人が沢山います。

 FOMOとは、”fear of missing out(見逃すことへの恐れ)”の略ですが、まさにスマホというモノから得る情報の奴隷と化すことに悩んでいる人が世界中に増えています。

 所有物は人間のために存在し、道具として人間が便利になるために使っていたはずなのに、いつしか私達は所有物に所有されているのではないでしょうか?

 しかも、モノは持てば持つほど、いつしかモノの奴隷になってしまいます。テレビでたまに特集されるゴミ屋敷の住人が良い例で、住人は大量のゴミに所有されていて自縄自縛になっていますよね。見え方は違えど、あれと同じ状態になっている人が増えているのです。

行き過ぎたマイルドヤンキーのような密な人間関係も「重荷の所有」と成りうる


 所有は人間関係においても同じように生じています。

 時折、小学校や中学校時代の友人とずっと仲がよく、未だに付き合いがあると言っている人と会うことがあります。それ自体は素晴らしいことだと思います。

 私にはそのような古い友人はいませんから、旧友といつまでも仲良くして「お互い、大人になったなあ」と笑いながら肩を組む、くだらないこと、意味のないことで笑いあうような関係に憧れることもあります。

 人によっては同じ地元の、古い付き合いを続けることを「マイルドヤンキー」と揶揄する人もいるでしょう。

 私はマイルドヤンキーをバカにするつもりはありません。ただ、マイルドヤンキーが”過ぎる”と「人間関係に縛られる」可能性が高まります。

 地方にいると、「誰々の親戚だからお付き合いで買わないと」「電機製品を買うなら、中学の先輩のお店で買え」「誘われたのに、あの社長の飲み会に行かないとハブられることがあるらしいよ」という話をよく耳にします。

 美しいはずの「ズッ友(ずっと友達、の意)」がいつしか足かせとなり、人間関係も「所有」されている状態となってしまうのです。

ステージによって付き合う人が変わるのは自然なこと


 私はこれまで沢山の情熱的な出会いを重ね、同時に音もなく静かにフェードアウトする別れを数多く経験してきました。

 ただし、この経験について私は全くマイナスのイメージを持っていません。せっかく出来た関係にしがみつき、あるいは、つなぎとめておくことに固執せず、流れに身を任せることにしています。

 同じ目的に向かって一緒に走るビジネスパートナー、付き合う人はその時々、人生のステージ毎に変わっていきます。

 年収300万円と、1000万円と、1億円では付き合う人が変わります。年収1億円稼いでいる人は1億円稼いでいる人と付き合っています。

 また、年収に関係なく、会社員は会社員同士と、経営者は経営者同士など同じ社会属性の人達と付き合うものです。

 私の周囲からも、会社員時代の友人が一部を除いてほとんどいなくなってしまいました。これも、私が起業家という別のステージに立ったからでしょう。

 更に言えば、私が起業一年目に付き合っていた時代の人とは、今や誰も連絡を取っていません。無理やり関係を断ち切ったわけではなく、自然に人間関係が消滅していきました。

 お互いにステージが変わったり、ビジネスモデルが変われば、話も合わなくなりますし、自然に疎遠になっていきます。

 その時々のステージで人間関係は出来ては消えていくのが自然なことなのだと、流動的に付き合う人は変わっていくものだと、達観しています。

 たまに、「豊富な人脈を持っている」と評される成功者とお会いしますが、彼らを見ていると、やはり「人脈を持っている」というより、「シェアしている」と言うのが現実に即していると感じます。

「所有すること」からの脱却があらゆる場所で起こっている


 インターネット全盛期の現代において、私達が価値を置くものは、手に触れることが出来る実物から、バーチャルへと変遷しています。

 たとえば、「現金至上主義」と揶揄され、2兆円もの金額がATM維持費に使われている日本でも、QRコードや仮想通貨といった「バーチャルマネー」が次々に登場しています。

 また、恋人やビジネス、住居や移動手段などあらゆるものが物理的な所有から、レンタルやシェアにより利用されている現在、「所有することからの脱却」があらゆる場所で起こっています。

 このfringe現象(端っこで起きていること)はやがて、所有物に所有されることを、古い価値観としていくことでしょう。
 
 私自身も、所有物、あるいは所有したほうが良いとされるものに所有されてしまうことのないよう、生きていきたいと思います。(執筆者:黒坂 岳央)

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