有益な懇親会や飲み会とは?話の内容で明らかになる賢者と愚者の違い
古代哲学者プラトンは「賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにはいられないから口を開く。」と述べました。そして、賢者と愚者の違いは懇親会や飲み会でも明確に現れます。
懇親会や飲み会という場で明確になる賢者と愚者の違い
同じ職場の同僚との懇親会、ビジネス講演後の飲み会では、賢者と愚者の違いが明確に現れます。
私が考える懇親会という場の目的は、「会議室では出来ない胸襟を開けた話を、飲みの席で話をする。それにより、相手との距離が近くなり、ビジネスコミュニケーションを図る」です。また、懇親会は情報交換をする場としても機能します。
単に初対面の人とおしゃべりを楽しむなら、社会人コミュニティやプライベートなお友達とやればいいだけのことです。ですので、私はビジネス懇親会という場は、相手とよりよいビジネス関係を構築するために持つ場であるという認識を持っています。
しかし、懇親会という場で、ひたすらおしゃべりに興じている人が必ずいます。
具体的には、ビジネスや投資の愚痴、不満、不安な気持ち、もしくは自慢などを吐露して、周囲はそれを「お辛いですね」「すごいですね」と共感し合うという場です。
この状況に対して私は、プラトンが言っている「愚者は、話さずにはいられないから口を開く。」という言葉を想起します。確かに感情をぶちまけることで、気分は晴れてスッキリするでしょう。しかし、明日になったらまた変わらない日常がやってくるわけで、一歩も前へ進んでいないのです。
お金をかけ、時間をかけ、労力をかけているのですから、飲み会に参加したメリットがなければ、お互いに消耗して終わり、時間もお金もムダになってしまいます。私はこうした懇親会に参加したいと全く思いません。
そのようなヒマがあるなら、自分のビジネスを更に前進させることや、子供と遊ぶことに時間を使いたいと思ってしまいます。
「お酒の力を借り、相手の人間性をよく知ることが出来るなら、おしゃべりもムダではない」という意見もあることでしょう。
しかし、そんな事をしなくても普段の仕事を通じて知恵を通わせることで、他者との信頼関係は十分に築けます。愚痴や自慢をしあう必然性はどこにもないのです。
懇親会や飲み会という場は、賢者と愚者の姿勢の違いが如実に現れてしまう場所なのです。
賢者の降臨する懇親会はどのような場か?
多くの懇親会は、上述した愚者による感情の交換と共感、おしゃべりに終止する場となってしまうため、私はあまり参加しないようにしています。
しかし、時々心に残る素晴らしい懇親会が存在します。
私の心に残った懇親会は、ある超一流の経営者とのものでした。その方は講演やブログの場では、決して言えないような業界の裏側の話や、あらゆるビジネスに対しての自身の見解などを次々と展開してくれました。素晴らしい着想や斬新な着眼点に、惚れ惚れとするような論理展開が続くのです。
まるで目の前で手品を見ているような、そんな唖然とさせられるような面白い話が続き、身を乗り出して「その次はどうなったんですか!?」と思わず聞いてしまいたくなるような、そんな懇親会です。
結局、懇親会と言ってもお酒が入ったビジネスの場に他なりません。ビジネスとは徹底的に価値提供ですから、聞いている人が役に立つ話を交換し合う場なのです。
プラトンは「賢者は、話すべきことがあるから口を開く。」と言っていますが、これは必要なこと、伝えるべきことを話しているということです。自分が感情的に吐き出したいから、聞いている人のメリットにならない話を延々としている愚者の姿とは対照的です。
ちなみに、私は上述した彼の話を、持参していたノートPCで一言一句漏らさないように必死にタイピングしてメモを取らせてもらいました。会議室では出てこない、賢者の言葉を逃してはあまりにももったいないのです。
取りこぼしのないよう、お酒を飲みつつ頑張ってメモをしてきました。そうした言葉のカケラが、今の私という人間の細胞になって息づいています。
皆さんは懇親会や飲み会で賢者と愚者、どちらの立場に立たれていますか?(執筆者:黒坂 岳央)