立浪和義

現代に求められる“指導力”〜世の中の変化を見極める〜

「社会」というグラウンドに立つ監督達へ

現役時代の通称「ミスタードラゴンズ」。169年8月19日生まれ。大阪府摂津市出身。A型。1987年PL学園高等学校の主将として、甲子園春夏連覇の快挙を成し遂げる。1988年ドラフト1位で中日に入団。球団史上唯一の高卒新人として一軍開幕戦フルイニング出場を果たし、4番落合博満氏のタイムリーで生還し初得点を記録。同年ナゴヤ球場で行われた第2戦開催のオールスターゲームに遊撃手部門でファン投票選出され(自身が小学生時代憧れていた)王貞治監督率いるオールセントラルに加入。レギュラーシーズン110試合出場し打率.223ながら盗塁22、犠牲バント21を記録し、中日のリーグ優勝に貢献、同年の日本シリーズ全試合先発出場。すでにプロレベルに達していたと言われる守備・走塁技術を高く評価されて新人王。高卒新人としては初のゴールデングラブ賞を受賞した。2003年7月5日・巨人戦(東京ドーム)で2000本安打を達成。年齢では史上4番目の速さでの達成。2005年5月18日・日本ハム戦(札幌ドーム)で449本目の二塁打を放ち、福本豊氏の持つ記録に並ぶ。翌日の5月19日・日本ハム戦(札幌ドーム)の第2打席で二塁打を放ち、日本新記録達成。またプロ野球史上初の3つのポジションでのゴールデングラブ賞(88年・遊撃手、95〜97年・二塁手、03年・三塁手)を受賞。2008年は打撃コーチ兼任ながらも代打としてチームに貢献し、史上7人目の2500試合出場を達成した。2009年9月30日の本拠地最終戦後に引退セレモニーを行った。4打数3安打の猛打賞で自らの引退を飾った。また、3安打目は二塁打で、自らの持つ二塁打の日本記録を487に伸ばした。