佐藤セルゲイビッチ
ロシア人金髪美女モデルと結婚した方法
素敵な外国人女性との結婚を目指して、
様々な成功方法や国際結婚生活の秘策を、お伝えしていきたいと思います。
実際に現役ロシア人モデルと結婚を果した、私の経験を元にしていますので、
机上での話ではありません。
本当の国際結婚の道のりや、
楽しい国際結婚生活を知りたい方の助けになれば幸いです。
【1977年生まれ】
栃木県宇都宮市出身
小中学校は地元の公立校
高校も宇都宮の私立高校に通っていました。
江川卓で有名になった、作新学院です。
高校卒業後は、公務員として就職しますが、2年で退職。
それ以降は営業として、通信、医療、人材サービスなど、
3つの会社で働いている、現役のサラリーマンです。
大学へは通信教育で行きましたが、卒業単位を十分に取得できずに中退しています。
中途半端な人生に悶々としている日々でしたが、
何か、「やってできないことはない」というような、
無駄に自信があるタイプでしたので、国際結婚を成功に導けたのだと思っています。
2006年に、最後の日本人彼女と別れ、海外旅行へ旅立ちます。
最後の日本人彼女は、学校の先生でした。 とても真面目な人でした。
しかし、この人と50年一緒にいるのはツマラナイと思い、別れたというのが本音です。
【2006年】
突然に思い立つかの勢いで
初めての海外旅行、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリーに一人で行きます。
スロバキアの首都ブラチスラヴァの宿泊していたホテルロビーで
美しい妖精のような美女達と出会い、衝撃を受け国際結婚の成功を固く誓いました。
あれは、高校生の修学旅行のような感じの集団でしたが
ひとクラス3人は妖精が在籍していたと思われます。
非常に衝撃的な美しさの微笑みを見た気がしました。
こんな手の届きそうなところに
すっごい美女がたくさんいて
夢なのか現実なのかわからないような状態でした。
【2007年】
色々と調べてみると、妖精のように美しい女性達が、スラヴ人と判明。
スロバキア人って、どこにいるの?
全然検討もつかないので
スラヴ系の女性が多い、ロシア・ウクライナを最大のターゲットにします。
初めての外国人女性、ウクライナ人で身長176cmで金髪、足のすごく長い
エカテリーナと会うため、ウクライナのキエフへ旅立ちますが、言葉の壁、習慣の壁に阻まれ撃沈。
日本語通訳を介しての会話は面白くありません。
お互いの距離感が近くなるのには、直接話をしなければと感じました。
帰国後英会話スクールのイーオンに入学、1年間のレッスンを受ける予定が
我慢できずに再度ウクライナのヤルタに旅立ちます。
今回のウクライナ人のアンナは、身長が160cm前半と日本人女性並みで
非常に性格もやわらかく好感触で、日本に帰国後も連絡を取り合いますが
彼女が日本へ来ることに話が及ぶと家族の反対もあり撃沈。
日本人と比べると家族間の結びつきが強いこと
家族が離れることの寂しさがすごく大きいことがわかりました。
【2008年】
ウクライナ人とは縁が無いような気もするため
ターゲットを、スラヴ系最大の国家であるロシアへ変更。
ロシア人最初の女性は、サンクトペテルブルグ在住の女性のマリア、
彼女の積極的な姿勢もあって、トントン拍子で進むかと思いきや、
婚約用に買っておいたダイヤモンドの指輪を取られて撃沈。
あとでわかったのですが、親も職業を偽っていたりと、なんだかすっきりとしない相手でした。
もう国際結婚なんて嫌になってしまいそうでしたが、最後の気力で見つけたロシア美女。
この女性、出会った頃はもうやめていましたが、元モデルのスタイル抜群の美女。
最初に写真を見たときに、これはすごい!
こんな美女と結婚できたら幸せだろうな妄想を展開していました。
1度目のロシア渡航で感触をつかみ
2度目のロシア渡航で、今までの経験の全てを駆使し、プロポーズを大成功に導きました。
今は日本で一緒に暮らしています。
街を歩くと、皆さんにとっても注目されます。
日本人女性もすばらしいですが、外国人女性ならではの美しさ、楽しさをもっていると思います。
国際結婚は困難も多いですが、得られるものも、その分多いと感じています。
振り返ると、結婚してからは、笑顔の数や笑顔の大きさが格段に多くなりました。
これが、私の幸せなのだろうと感じてます。