山田 正彦

元農林水産大臣・弁護士

農林水産大臣(第51代)、衆議院議員(5期)、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、衆議院農林水産委員長などを歴任。

長崎県福江市(現五島市)出身。早稲田大学第一法学部卒業。1969年、司法試験に合格した。

早大卒業後、故郷の五島に戻り、10ヘクタールの土地を購入し開墾。1972年に牧場を設立し、代表取締役に就任。中華人民共和国の青島から仔牛を輸入し、日本の食肉基地たる大牧場をつくるべく奮闘するが、第一次オイルショックにより牧場経営が打撃を受けたため、長崎市に「山田綜合法律事務所」を開設。弁護士業を営む一方、多角経営で牧場の再建にも取り組んだ。同時期、有機農業にも関心を示していた(数年後に牧場は完全譲渡)。

1979年の第35回衆議院議員総選挙を皮切りに第38・39回に旧長崎県第2区から立候補(第35回のみ自由民主党公認)するが、いずれも落選。

衆議院

1993年、第40回衆議院議員総選挙に新生党公認で旧長崎2区から出馬し、新党ブームの追い風に乗って初当選。1994年の新生党解党により、新進党結党に参加する。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年の第41回衆議院議員総選挙では長崎3区から出馬したが、自民党の虎島和夫に敗れ、落選した。1997年末の新進党解党により、小沢一郎が率いる自由党結党に参加。

2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で長崎3区から出馬し、再度自民党の虎島に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、4年ぶりに国政に復帰。2003年の民由合併により、民主党に入党。同年の第43回衆議院議員総選挙では、長崎3区で虎島後継の谷川弥一に敗れるが、比例復活により3選。民主党の次の内閣農林水産副大臣を務め、BSE問題に関連してアメリカ合衆国からの早期牛肉輸入再開に反対した。2005年の第44回衆議院議員総選挙でも再度谷川に敗れ、比例復活で4選。総選挙の大敗により引責辞任した岡田克也に代わり、民主党代表に就任した前原誠司の下、次の内閣農林水産大臣に就任。2007年9月には次の内閣厚生労働大臣に就任(~2009年1月)。大臣就任後は障害者自立支援法廃止法案や後期高齢者医療制度廃止法案の提出に尽力する。2008年6月、民主党の農業政策を批判した前原誠司副代表に対し、「前原誠司副代表の妄言を糾弾し、その「退場」を勧告する」と題したメールを筒井信隆・篠原孝・山田の連名で民主党所属議員に配信する[1]。2009年5月6日、1932年に中国で起きた平頂山事件について日本政府に公式謝罪を求める議員団に参加[2]。