藤田太陽

元阪神ドラフト1位 選手生命の危機と言われた右肘靭帯断裂からの少しの栄光と多くの挫折

2001年、阪神タイガースにドラフト1位で入団。右肘靱帯損傷,右手首からの靱帯移植手術,移籍、そして2度の戦力外通告を経験。埼玉西武ライオンズではリリーフ投手として安定した成績を残すも、そのプロ野球人生は決して輝かしいものではありませんでした。

 2013年オフに現役引退後は,東京を拠点に,フリーランスの野球解説者として出身地の秋田や関東などのテレビ・ラジオ番組に随時出演。そして2014年12月からはスポーツ選手の現役引退後をサポートする事業を立ち上げます。

 秋田県立新屋高等学校進学後,外野手としてのプレーを経て,2年生の秋から本格的に投手に転向。
 高校卒業後の1998年に、社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社。2年目の1999年には第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では最優秀防御率賞に輝き日本の3位入賞に貢献した。
 2000年秋のドラフト会議では読売ジャイアンツと阪神タイガースが最後まで獲得を競ったが、阪神を逆指名しての1位指名で入団。
 翌2002年にはプロ初勝利初完投を記録。2003年は開幕ローテーション入りを果たすが,右肘靱帯の損傷で戦線離脱し,6月にロサンゼルスのセンチネラ病院でジョーブ博士による右手首からの靱帯移植手術を受けた。
 2009年7月に水田圭介内野手との交換トレードで埼玉西武ライオンズに移籍。この年と翌2010年は中継ぎ・抑えとして活躍。
 2012年オフに戦力外通告を受けるも、東京ヤクルトスワローズが獲得を発表。2013年はリリーフとして20試合に登板。1セーブ1ホールド、防御率1.93と安定した成績を残したが、10月に戦力外通告を受けた。慢性的な右肘の痛みに悩まされていたこともあり,現役を引退した。