下村 勝光

「難しいことをおもしろくして」

私の使命は、社会保険労務士の認知度を高めるということです。
ためには、質の高いサービスを提供し、お客様が求める期待値を一つずつ超え、そこまでしてくれるのか、という驚きを提供していきたい。
あくまで、手続や相談業務は入り口であり、最終的には「人づくり」へつなげていく。
「お客様の成長支援」を会社の理念として掲げている中、黒子(くろこ)としてお客様先のご担当者のレベルを上げ、最後は我々の支援がなくてもお客様先で対応できる状態にすることをモットーとしております。

【出生~幼少期】

茨城県勝田市で会社員の父と専業主婦の母という、ごく普通の家庭に生まれました。しかし、大人の事情で3歳までしかその生活は続かず、住吉大社が近くにある母の実家で、一人っ子人生を歩んでいくこととなりました。


家から徒歩30秒のところにある幼稚園に入学し、ここで初恋をしました。相手は、みどり組の時の担任だった「キンドウ先生」。自分が竹馬にうまく乗れず、先生にカッコ悪いところを見せられない、と壁を背に、必死になって頑張った光景を今でも鮮明に覚えています。これと決めたら無我夢中に取り組む自分が当時からいた、と改めて気づかされます。

【小学生時代】

当時はあまり意味がわかりませんでしたが、家の前に小学校があるにも関わらず、校区の問題ということで、結構遠くまで歩く小学校に行くことに。家の前の道路に引かれている白色の線を消そうとどれだけもがいたことか。ただ、その白色の線が消えなかったおかげで、4年生までは、キャプテン翼のドライブシュートが打てるようにと友達とサッカーに打ち込み、5年生の時からは友達と一緒に野球チーム(チーム名:応援団)を作り、地域で有名な野球チームに勝つことを目的に、毎日充実した生活を送っていました。

練習時間は曜日によって違いましたが、学校終了後、当時大流行していたテレビ番組「毎度お騒がせします」が始まる時間まで、という日もありました。厳しい決まりはなく、その都度チームメイト同志で適当にルールを決めながら練習していたので、上手いとは言えなかったと思いますが、この頃から仲間と新しいことを生み出すことに喜びを感じる自分が形成されていったと思います。

【中学生時代】

小学生時代に自己流ではありましたが鍛えていたので体力には自信があったのでしょう、練習が厳しいと言われていたバスケットボール部に入部するものの、想像以上の練習量であったため、わずか2か月で退部してしまいます。ここから1年半ほど「帰宅部」となり、特に情熱を注ぐ、ということの無いダラダラしたダメ生活へ突入。この時期に何か打ち込むものがあったなら、と今さらながら後悔している期間です。

ただ、母親から常に言われていた、【交通費がかかるから自転車で行ける公立高校へ行くように】、ということだけは、子供ながらにお金の大切さを感じていたので、絶対に守らなければと、勉強中心の生活を送りつつ、帰宅部では内申書に悪影響と当時の担任からの一言で水泳部に途中から入部し、希望の高校にも合格できました。

【高校時代】

比較的寂しかった中学時代を取り戻すため、大人数で一つのものを創ることにあこがれ、ブラスバンド部に入部することにしました。部員数は3学年で約100名。一般的には知られていないが、きれいな音色に惹かれて「ユーフォニウム」という楽器を選択。

2年生の4月から部長に抜擢され、ユーフォニウムプレーヤーであると同時に、指揮者やイベントの企画等、責任重大な役割を全うすることに。部長として、前例にとらわれるな、をモットーに、放課後の通常の練習だけでなく、顧問の先生にOKをもらって朝練や昼練を導入したり、アンサンブルコンテストへの出場、これまで校内で行っていたスプリングコンサートの外部会場での実施等、部の歴史を大きく変えてきました。ノリの良い同期メンバーに恵まれたことが最大の要因だと思います。

【大学時代】

高校時代にクラブ活動に明け暮れた反動で「自由」と「お金」を手に入れるために、アルバイト生活へ。学校は週休6日制で、本当にダメ学生でした。今思うと、この4年間でもっといろんなことに挑戦し、お金では買えない経験や自分の可能性を広げる過ごし方をすべきであったと反省する反面、この4年間のおかげで、後悔先に立たず、を実感したことが、今の仕事への取り組み姿勢に生かされつつ、人生に無駄な時間は全くない、無駄な時間というのは事象ではなく「捉え方」である、という視点を持つことができたと確信しています。

【新社会人時代】

大学3回生の就職活動時では、どんな会社でも良い、「とにかく休日の多い会社」を選択しました。理由は、どんな時代になっても食っていける専門分野を持ち、自分で起業できる士業になるための勉強時間が確保できる、と考えていたからです。社会が新卒扱いしてくれるのは大学卒業後の一年間しかないので新卒後一年間はせめて企業で過ごそう、という超自分勝手な考え方の元、自分との約束どおり一年間で退職しました。新卒で入社したその会社には本当に迷惑をおかけしたと思っていましたので、関総研に入社後、少しでも恩返しを、とお客様をご紹介し、喜んでもらえました。

【当社との出会い~現在の仕事にかける想い】

29歳の時に、社会保険労務士試験に合格したことをきっかけに、妻子ある状況でしたが独立開業して成功し、母親に不自由のない生活を提供する、これまでお世話になった方々に想像以上の恩返しをする、という想いで入社いたしました。現在では、社会保険労務士の枠に全くとらわれることなく、仲間と共にお客様に最適なサービスを提供できる環境に感謝しつつ、仲間と共に考えることによって、自分一人だけの発想ではありえないレベルのサービスを提供することに無我夢中になっております。

お客様に、お客様社内でも前例のない、想像を超えるサービスを提供し喜んでもらいたい。

この想いを実現する過程で、お客様を良い意味でビックリさせることに生き甲斐を感じながら、価値のある時間を自ら創造していきたいと考えています。