蒲池崇
日本初「個人通信」で売上アップコンサル+作成代行
日本唯一の「個人通信®(個人版ニュースレター)」の作成、コンサルティング会社を経営。「お客様はどこから買うかではない、誰から買うかだ。」を信条に、日々の出来事から自分の人となりを紙面にして伝え、お客様から選ばれる存在になるメソッドを確立。個人通信®を送っていただけで「顧客単価が6.6倍」、「1000万円超の受注」、「新規:リピート・紹介の比率が7:3から3:7に大逆転」などの成果をクライアントにもたらす。
独立前、東証一部上場のコンサルティング会社、株式会社船井総合研究所では、継続的な情報発信が評価され社内で表彰を受ける。また、社員教育会社では営業マンとして個人通信®を駆使し、トップセールスにもなる。
クライアントは、県庁からガーデン・エクステリア、お漬物卸から税理士事務所まで多岐にわたり、これまで作成代行をしてきた個人通信®は2000を超える。「今回は個人通信®に書くネタが本当にないんです」という人からでも短時間で必ずネタを引き出すインタビュー力、読み手が自然とその人のファンになる文章を作成するPR文章力には特に定評がある。
◆著書に「売れる営業マンになりたかったら自分を売れ!といわれてもなかなかできない人のための営業ツール(明日香出版社)」があり、丸善・丸の内本店のビジネス書ランキング等で第1位を獲得している。
事業を通じて成し遂げたい願望は、「いいものを持っていて、まじめに頑張っている人や会社が、世の中から正しく評価されるようになること」個人通信®という手法が世の中に定着し、いいものを持っていて、まじめに頑張っているにもかかわらず、PR下手で評価されていない人や会社が正しく評価され、お客様から選ばれる存在になる世の中にしたいと考えている。
◆個人通信®作成代行事業 誕生物語
「さっさと会社たたんでサラリーマンに戻れ!!」
2008年4月28日、夕方6時すぎ、池袋のとある居酒屋 さんで、私は先輩経営者のKさんにさんざん叱られ、悔しさと 自分の不甲斐なさから、泣いていました・・・。
私は、大学を卒業後、コンサルティング会社の 船井総合研究所に入社し3年、その後転職し、 都内の社員教育会社の2年を経て2008年2月4日、 27歳で独立しました。
サラリーマン時代、特に最後の年は、 生活費以外のほぼ全てのお金を独立のための勉強、セミナーなど に費やし、プライベートの時間の大半もそれに費やしてきました。
そして、満を持して今とは全く別のネットを使った営業研修事業をスタートさせました。小冊子を作り、広告を出し、また知人からたくさん営業先を紹介してもらい、意気揚々としていました。
しかしです。これが全くもって上手くいきません。(いまではその理由がわかりますが、当時はわかりませんでした・・・。)前職からお客様を1社も持っていかなかったこともあり、お客様はゼロ。(厳密には、お情けで頂いた数万円の仕事が1件・・・)さらに、追い討ちをかけるように、当てにしていた(←大ばか者です)融資が、最後の最後の最後に断られ、あっという間に、預金が生活費残り2ヶ月のところまでいきました・・・。
売上が立たず、その見込みも無く、どんどんお金は減っていきます。私は、大きな不安とストレスから、産まれて初めて不眠症になり、また、顔が(痙攣で)引きつるようになっていました・・・。
そんななか、2008年4月28日、池袋のとある先輩経営者のKさんのところに相談に行きました。「調子はどうだ?めしでも行くか?」と誘われ、その社長の会社から数分のところにある居酒屋さんに行きました。お店は地下にあり、比較的落ち着いた感じのところで、テーブル席に座りました。ビールと料理を一通り頼んだ後、私は、上手く行っていない現状を正直に全て話しました。
すると、普段はとても温厚なそのK社長から、「そんな甘い考えで、おまえは社長失格だ!!」 「さっさと会社たたんでサラリーマンにもどれ!!」と、さんざん叱られました。私は、自分が何が間違っているのか、サラリーマン時代に学んだ通りに全てやっているのに全く上手くいかない。八方塞でもうどうしたらいいのか全くわからなくなり、悔しさと自分の不甲斐なさから泣いていました。
そして、おしぼりで目を押さえながら、自分は結局この程度の人間だったのか・・・、自分は経営者にはなれないのか・・・、光の見えないとてつもなく深い穴に落ちてしまった感じがしていました。
もう自分は終わりなんだ・・・。
しかし、先輩社長からの次の一言で、一筋の光が・
つづきは会場でw