石上文之

カワイイ彼女を作りたい30代独身男性の恋愛アドバイザー

【カワイイ彼女を作りたい独身男性の方へ】

今までの僕の歩みをご覧になって頂ければ分かるように、僕のようにルックスに全く自信のない男性でも、魅力的なカワイイ女性と継続的に親密な交際を続けることは、十分可能なことなのです。
 
僕自身が、彼女を作ることができない「モテない」男性だったからこそ、今彼女が作れなくて悩んでいる男性の心情は痛いほど分かります。

最近は、社会問題として「彼女を作れない男性」「結婚できない男性」の話題を耳にすることが増えてきました。
 
こうしたニュースを聞くと、彼女が作れずウジウジ悩んでいた昔の僕、モテない理由を自分に求めず周りのせいにしていたかつての自分を、僕はいつも思い出します。
 
僕は、典型的な「自分に自信のない男」でした。
 
そして、そんな自分に嫌悪感を持っていました。
 
でも、そこから逃げていては何も始まらない。このままの状態でいたくない。
 
そう考えた僕は、「自分に自信がない」「自分に能力がない」、その現実をしっかり自分事として認めることをまずは始めてみました。
 
それは、「自分に自信を持った男になりたい」「自分で納得のいく充実した人生を送りたい」そうした自分の気持ちにウソをつきたくなかったからです。
 
そこで、まず始めたのは、自分の理想像に近づくために自分でできることをとにかく「やってみる」こと。
 
小さいこと、つまらないこと、一見無駄だと思えるようなことでも、他の人からアドバイスされたり、本や雑誌に載っていていいなと感じた情報は、できる限り実行してみました。
 
するとどうでしょう。例えば、いままで女性に連絡先を聞いても教えてもらえなかったり、偽の電話番号を教えられたりしていた僕が、だんだんすんなり女性の連絡先を入手できるようになるなど、わずかではありますが少しずつ成果が出てくるようになりました。
 
もちろん、うまくいくことばかりではありません。1つの「成功」の裏には、多くの失敗があります。
 
大切なのは、成功/失敗の結果で一喜一憂するのではなく、その成功事例・失敗事例から、「分析」を行い、何を教訓として学ぶかということ。そのことに気が付いたのも大きな収穫でした。
 
そうした微小な成功を積み重ねていくうちに、自分の中にわずかではありますが自信の気持ちが芽生えてきました。
 
そうして生まれた僕の中の小さな「自信」が、次の「やってみる」を後押しする。女性をデートに誘ったり、一緒に食事にいく提案をしてみたり、徐々に「やってみる」の質も上がっていきました。
 
そんな生活を20年も続けていたら、いつしか合コンの回数も2000回に達してしまった。それが今の僕なのです。
 
上で述べたように、僕はこの20年以上、「やってみる」→「失敗」→「分析」→「成功」→「自信」、 そして、更に「やってみる」→「失敗」→「分析」→「成功」→「自信」・・・、と言う循環を繰り返してきました。
 
この循環を繰り返すことによって、一歩ずつ人間的に「成長」を遂げることができました。
 
その結果、人間として男としての「魅力」が少しずつ備わってきたことが、先にお伝えした「素敵な女性たち」と僕がお付き合いすることができた最も大きな理由です。
 
つまり、重要なのは、
 
・「やってみる」→「失敗」→「分析」→「成功」→「自信」の体験
・ その一連の体験を繰り返すことによる、「成長」
・ 結果として、人間的・男性的「魅力」の増強
 
この循環をいかに作り出すかに尽きます。
 
そして、この循環は僕だから作り出せたわけではありません。あなたを含む誰でも作り出すことができるのです。
 
今の僕の人間的魅力がどれくらいのレベルになったのか、それは僕の周囲の方の評価に委ねます。
 
一つだけ言えるのは、「学生時代に彼女が作れなくてウジジ悩んでいたかつての自分」と「カワイイ女性と仲良くなれるようになった今の自分」とでは、今の自分の方が大きな自信を持てている人間であるということ。
 
先にもお伝えしているように、「自信」を持つための第一歩はまずは何でも「やってみる」こと。
 
ですので、僕は何よりもこの「やってみる」ことを大事にしています。
 
百姓から天下人へと成り上がった豊臣秀吉は、日本一の「下剋上」を成し遂げました。
 
恋愛市場において、あなたも豊臣秀吉のように下剋上を成し遂げてみたくありませんか?
 
まさに僕がそうであったように、残念ながらルックスに恵まれない容姿をもって生まれた男性は世の中に数多くいます。
 
しかし、そんな男性でも、高嶺の花だったカワイイ女性と付き合うことができる、憧れの魅力的な女性を彼女にすることができる。
 
そのノウハウが、「下剋上恋愛術」なのです。

そして、「僕が彼女を作るために実践したこと」や「その礎となる考え方」は、世の「カワイイ彼女を作りたい独身男性」の役に立てると確信し、「カワイイ彼女を作りたい30代独身男性の恋愛アドバイザー」として活動しております。
 
また、「下剋上恋愛」を成し遂げるための実戦的な学びの場として、「交際人数ゼロからの男の下剋上恋愛術」を展開しています。
 
「カワイイ彼女を作りたい30代独身男性」が恋愛を成功させ、「人間的魅力に満ち溢れた自信のある男」になる。
 
そんなサクセスストーリーを体現する男性を一人でも多く生み出すことが、現在の僕の使命です。

【恋の(モテない)略歴】
 
過去、僕がどれだけ悲惨な恋愛体験をしてきたか、赤裸々に記載しています。長文になりますが、ご一読頂けましたら幸いです。

◆小学生時代◆
僕は鈍足で運動神経も悪く、運動会が嫌いな小学生でした。運動会って、足が速い男子生徒や、選手宣誓を行うようなリーダーシップがある生徒が目立ってカッコよく映える場じゃないですか。

僕は当然活躍する場もないので、何ら面白く感じることがなかったのです。寧ろ、そうした学校の集団行事を経験するにつれて、高学年になるにしたがって、そのようなモテる男子生徒と自分との差異を徐々に実感し始めることになります。

例えば、バレンタインデー。小学校も高学年になると、モテる男子生徒は可愛い女子からチョコレートを沢山もらえるようになるんですよね。一方、僕の手元に本命チョコレートが来ることなんてありゃしない。
 
届くチョコはすべて「義理」「ギリ」「GIRI」。僕がチロルチョコを嫌いになったのもあの頃でした。
 
子供心にも、「ああ、自分は女子からの人気がないのだな。」と言う現実が徐々に理解できるようになってきたのもこの頃です。羨ましい気持ちと惨めな気持ちを胸の中にしまいながら、クラスの中で女子から人気のある同級生を教室の隅から羨望の眼差しで眺めていることがしばしばありました。

結果、小学生時代は全くモテることなく終了します。
 

◆中学生時代◆ 
それでも、女の子と仲良くなりたいと言う好奇心は強く持っておりました。そして、同じクラスの女の子を好きになりました。
 
その子は学級委員で、しかも運動系の部活でも活躍しているようなに生徒。要は勉強もできて教師からの信頼も厚く、スポーツもできる、明らかに自分には手の届かない女の子でした。

しかし、若さと言うのは恐ろしいものです。僕は果敢にアタックすることを決意したのです。

とは言っても当時は恋愛について殆ど知識も技術もありません。僕ができること。それは僕の気持ちをまずは彼女に伝えることだと考えました。

直接会って告白するのが王道。しかし、そんな勇気もなく…。考えた末に、手紙をかくことにしました。人生史上最も頭を使って作成した文章がようやく完成しました。

その時、自分で手渡す勇気がなかった僕は、仲の良かったA子に頼んで、彼女に手紙を渡してもらうことにしました。
 
A子は親切にも快諾してくれ、僕はA子に手紙を託しました。

数日後、返事が入っている封筒をA子から受け取りました。僕は家に返ってドキドキしながら封を開けました。便箋に書かれた文字を見ます。ん、何か見覚えのある文字。汚い字。

そう、僕の想いが詰まった人生初のラブレターは無情にも突き返されたのでありました。

そこには、「気持ちには応えられない」旨が書かれた小さなメモが添えられていました。

その時の僕と言ったら、あまりにショックで複数の感情が次から次へと湧いてきて、残念やら、悲しいやら、恥ずかしいやら、ありとあらゆるネガティブな感情に心を支配されました。

後から聞いた話では、野球部で活躍するかっこいい男子生徒のことが、彼女は好きだったようです。
 
この経験によって、僕のモテなさは自信から確信に変わりました。その結果、「もう一生彼女ができない。」とか、「僕は恋愛する資格がない。」と言うネガティブな考え方が非常に強くなりました。

また、それと並行して、男としても人としても自分に自信が持てない人間になり始めていました。

 
◆高校生時代◆
高校は男子校に入りました。男子校なので、学校生活自体は女っ気はありません。
 
しかし、色気づく年頃のこと、同級生が合コンの話を持ってきてくれました。生まれて初めて合コンに参加したのは、高校1年生の夏休み。場所は新宿マイシティの屋上ビアガーデン。
 
お相手は大妻高校の女の子たちでした。
 
このときにも可愛くて非常に気に入った子ができました。
 
何とか連絡先を聞き出したい一心で、わざわざ遠回りして、彼女と一緒の帰りの西武池袋線の電車の中。
 
彼女の降りる駅が近づいてきます。でも、何とか連絡先を聞き出したい!
 
焦る気持ちの中、勇気を振り絞って、電話番号を聞いてみました。
 
携帯電話などまだ誰も持っていない時代。彼女が降り際に落としていったのは、「お父さんの名前を教えるから勝手に電話帳で調べて。」という破壊力メガトン級の爆弾でした。
 
おかげで、今でも僕はあの駅の名前を聞くだけで、背筋が寒くなるのです。
 
高校生活も恋愛面では成果を上げられずに終了しました。
 

◆大学生時代◆
大学生になり、車を手に入れたり、バイトや大学のクラブ活動など活動の幅も広がり、交遊関係も広がっていきました。
 
そんなとき、遊び仲間の一人だったとある女子大生Y子のことが好きになりました。
 
当時僕は吉祥寺で一人暮らしをしていました。あるとき、夜中の1時ごろそのY子から電話が掛かってきました。

聞けば、新宿で飲んでいたら終電を逃してしまった。良ければ車で迎えに来てくれないか、との内容でした。Y子の家は八王子です。

熟睡していた僕でありましたが、飛び起きて新宿まで車を飛ばしました。好きな女の子からの頼まれごとと言うのは嬉しいものです。

新宿に着いてみると、Y子は女友達二人いました。ついでに友達二人も車で家まで送っていってくれないかと。そりゃ、好きな子の前では良い格好したいですからね。二つ返事で引き受けました。

ところが、よくよく話を聞いてみたら、一人は葛飾区、もう一人は埼玉県の所沢市に住んでると言うじゃありませんか。まるっきり逆方向どころか、新宿を中心とした巨大三角形です。
 
一人目の友達を葛飾区まで送ったあと、二人目の友達が住む所沢市に向かいました。貧乏大学生だったので、資金に余裕はありません。高速道路を使わず下道で延々と走っていきました。

そして、Y子が住んでいる八王子に最終的に到着したのは朝の5時を回っていたでしょうか。

それでも僕は、Y子の役に立ててとても嬉しかったのです。

そんなに尽くして尽くして尽くしまくったY子でしたが、いいように使われるだけ使われた挙句、最終的にはあっさりと紙クズのように捨てられてしまいました。
 
 
 
【その後の歩み】

上記のように、彼女を作れる要素が何一つなかった僕でした。当時の僕はネガティブな考え方に心を支配され、自分に全く自信の無い男でした。

恋愛がうまくいかないのを、生まれつきの容姿のせい、イケメンばかり好む女性の価値観が悪いせいだと、全て自分の心・内面以外のことに転嫁していたのです。
 
でも、Y子に捨てられたあと、考えました。「今さら自分の生まれを嘆いてもしょうがない。今の自分を受け入れて、自分ができることを一つずつ実行して、素敵な彼女を作るために頑張ろう。」と。
 
そこから僕はネガティブだった自分の考えを、出来るだけポジティブに考えるよう常に努めることにしたのです。

例えば、それまでは、自分がモテない現実を自分以外のせいにしていました。
 
そこから、「モテない原因は常に自分にあり」と捉え、「自分がフラれた原因を自分なりに分析」して、「その原因を改善する」ことに常に努めました。

結果、女性にフラれたときでも「これは自分の更なる成長のための大変貴重な経験。有り難いことだ。」と常にポジティブに受け止めることができる境地にまで達しました。
 
そして、彼女を作るために自分が実行できることを少しずつ実践しました。
 
一番最初に思いついたのは、まず圧倒的に女性と接触する機会を増やす、と言うこと。合コンやパーティーなど、時間と軍資金が続く限り、積極的に参加しました。一日2回のダブルヘッダーは勿論、何度かトリプルヘッダーで合コンに参加したこともあります。
 
合コンに参加しては連絡先を聞きデートに誘う、そうした挑戦をひたすら続けました。
 
勿論失敗も沢山あります。あるときは、チェーン店系の居酒屋に待ち合わたことが気に食わなかった女性から猛烈な勢いで罵倒されたこともありました。
 
そうしたトライ&エラーを繰り返しながら愚直に経験を重ねて参りました。
 
そうすると、だんだんといい結果が生まれてくるようになりました。
 
遂に彼女が出来たのです。
 
生まれて初めてできた彼女は、キャバ嬢でした。3才年下の綺麗な子でした。
 
キャバクラで知り合った訳ではなく、当時僕がアルバイトをしていたカラオケボックスの常連のお客さんだったのです。

振り返ってみると、僕が彼女と付き合うことができた要因は、

・ カラオケボックスの店員と言う立場を活用して、彼女との距離を徐々に縮めることができた。いわゆる店員マジック。
・ その際に、ドリンクやお菓子をサービスで提供するなど、「特別感」を強く演出した。
・ 最初のデートのときに、友人に教えて貰ったお洒落なバーに連れていった。

 など、それ以前の僕にはなかった情報知識や立居振舞が、経験値を増やすことによって徐々に自身の体に浸透して、それが自然と体からにじみ出たことが相手にプラスに作用したからだと分析しています。

今考えてみると、この彼女には相当良くしてもらえました。当時、私は貧乏学生。キャバ嬢の彼女の方が稼ぎがある訳です。

なので、食事はよくご馳走して貰っておりました。特に焼肉はよく食べさせて貰いました。

他にも、ネクタイ・ベルト・洋服を買ってもらいました。今思うとちょっとしたヒモのような生活だったかもしれません。

それまでは、何をやっても彼女ができず男としての自信を失っていた僕に楽しく安らげる時間を与えてくれた彼女には、今でも大変感謝しております。

その後も、より幅広い業種の女性が顔を出す合コンに継続的に参加することによって、さらに多くの女性との交流を積み重ねていった結果、素敵な女性達とお付き合いをする幸運に恵まれました。
 
ほんの一例を挙げますと、

・ 国際的ミスコンに日本代表として出場経験のある女優
・ 国内大手客室乗務員
・ 高級ブランド美人店員
・ 夕方のニュース番組に出演する某テレビ局アナウンサー

などなどです。
 
 
また、正式にお付き合いするには至りませんでしたが、大人の関係のガールフレンドとして今まで仲良くして頂いた女性の数は3ケタになろうかと存じます。

そんな僕も2011年には結婚することができました。つまり、僕の人生史上最高の女性と出会えて、その女性に猛烈なアプローチをして、栄冠をつかみとることができたと言えるでしょう。