エミリー店主・小野善秀
年商400万の家業を8000万にした驚異の個店「エミリー」
バイクが好きでスズキに整備工として入社。バイク屋になろうと思ってましたが、家業であるケーキ屋を父の代で終わらせてしまうのは惜しいという思いからケーキ屋に180度の進路を変えました。やるからには日本一のケーキ屋になろうと誓いました。ちなみに、その時にバイクが近くにあると自分に甘えが出ると思い、とても寂しい気持ちでしたがその当時持っていた3台のバイクを処分して、その後一切バイクには乗っていません。24歳の冬の出来事です。
ケーキ屋になるからには基礎からしっかり学ぼうと、東京の吉祥寺にある二葉製菓学校に入学し製菓理論や素材の事についてしっかり学び、卒業作品展では最優秀賞をとりました。
そして、修行先はその当時東京で一流の店と言われた「コンデトライ菓子の実」にて住み込みにてケーキ屋の仕事とはこういうものだと身につけさせていただきました。徒弟制度のきっちりしたところで毎朝5時から夜遅くまでケーキを作っていました。
「作っても作ってもケーキが売れ、こんなに売れるなんて本当にすごいな」と思い尾張旭に帰ったら自分もこんな店にするぞと誓いました。
技術の向上を目指しケーキ作りのコンテストに出場したり、休日は東京中のケーキ屋を食べ歩きをしたり、考える事はケーキの事ばかりです。まさにケーキ漬けの日々を過ごしました。
しばらくして親方から「そろそろ修行を終え実家でケーキを作りなさい」と言われました。3年半の修行を終えエミリーに戻ってきたのは29歳の夏でした。
「さあこれからは東京で学んだケーキ作りで地域のみんなに喜んでもらおう」と思ったもののケーキが売れない日々が続きます。「東京ではあんなにケーキを作っていたのになんでなんだ」と出るのはため息ばかり。たまにご来店を頂くのは近所のおばあちゃんが来て、その当時売っていた70円の和菓子を買って行くかタバコを買っていく馴染みのお客さんくらいです。実家に戻りその年の秋に東京の製菓学校の同級生と結婚して家庭を持ったばかりです。同じ志をもち頑張ろうと誓っていたのに。気持ちは焦るばかりです。
このままではダメだ何かをしなければ。
思いついた考えが「じゃんけん大会」です。まずは「じゃんけん大会」という話題でお客様を集めようと思いました。土曜日と日曜日の午前と午後に時間を決め合計4回「私とじゃんけんをして勝ったらケーキをプレゼントします」とチラシを書き新聞に折り込みました。これでお客様が大勢来るだろうと思ったものの、ご来店頂いたのは4回とも一組の兄弟が来ただけという結果に。
「自分の作ったケーキはタダでもいらないのか」と自信をなくしました。嫁さんからはパートに行こうかと言われ、情けなくなるとともに、絶対エミリーを有名な店にするぞと誓います。