斉藤敏行

栄光へと導くスペシャリスト

若手起業家やビジネスパーソンを中心に個人の魂に宿る希望に光を当て栄光へと導くスペシャリスト。

彼の元で『自身の眠っている才能』に目覚め、希望に満ち溢れた人生へと歩みを進めた人は数知れず、自らのミッションを

『一人一人に宿るスターを覚醒させ、希望の架け橋となること』と定め、愛と情熱に溢れる社会づくりに全力投球している。

1984年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。

幼少期はわんぱくに過ごし、小学2年生から始めた野球ではスター選手として活躍。抜群の運動神経と物覚えの良さで地域でも将来を嘱望される野球少年だった。

高校の進学先に選んだのは甲子園常連で、誰もが知る強豪校。

入部早々一軍にも招集され、『将来プロ野球選手になること』に、疑いはなかった。

しかしその夢は、脆くも崩れ去る

『もう野球は諦めたほうがいい』

それはドクターからの突然の通達だった。

練習中に負った怪我の状態は、彼の予想より遥かに酷く、野球しか知らなかった少年は、その野球そのものを失った。

人生初めての挫折…

この挫折は彼の人生に大きな転機と暗雲をもたらした。

熱意と情熱を向けるものを失った彼は、野球以外にそれを求めた。

大学を卒業し、就職した建設業界では異常と思われるほど働いた。

会社からは十分な評価を受け、収入も周りから羨ましがれるほどだったが、それでも満たされることはなかった。

さらなる高みを目指して転職した大手製薬会社でも、同じように働き結果を出した。

しかしそれでも満たされず、思い出すのはいつも『無我夢中であの白球を追いかけていた自分』だった。

『おれは一生、あの頃の自分を思い出にできないのか…』

彼は渇望していた。野球以上に打ち込める何かに。そして『あの頃の自分を超える自分』と自分をこの『過去の呪縛』から救い出してくれる“なにか”を求めていた。

そんな折、彼とって運命とも言える出来事がある。

それは奇しくもこれまでは彼の空虚さを埋めることできなかった『仕事』に関わることだった。

彼はふとしたきっかけで、この世に『人の夢をサポートする仕事がある』ということを知る。

『夢〜ゆめ〜』

この一言に、心がざわついた。

自分が叶えられなかった『プロ野球選手になる』という夢。父も母も全力で応援してくれて、それがとても心強かった。

『本当にそんなことが仕事にできたら…』

そう考えると、いても立ってもいられなくなった。

彼は夢中でその仕事について学んだ。そしてまだて学ぶほど『俺はこの仕事をするために野球を諦めるという経験をしたんじゃないのか?』と思わずにはいられなかった。

そして多くの友人と顔が、頭の中に浮かんだ。

彼と同じく『情熱の注ぎどころ』が見つけられず、もがいている友人たちの顔が。

彼は仕事を始めた。与えられたものではなく、彼の魂が求める仕事を。

彼の情熱に突き動かされ、彼とパートナーシップを結んだクライアントたちは、軒並み大きな成果を出し続け、反響が反響を呼び、わずか数カ月足らずで彼は顧客を変えられないほどになった。

彼は言う。

『人は情熱を注ぐ者さえ見つけられれば勝手に輝いていく』

と…

『一人一人が胸を張ってオンリーワンの人生を歩む、愛と情熱に満ち溢れた社会』

彼の目指す社会の実現には、まだほど遠いのかもしれない。しかしそれでも彼はもう二度と、『夢を諦める』ことはしないだろう