鈴木政次

“ガリガリ君”の開発者そして育ての親/ M.ソリューション代表/ 赤城乳業株式会社元常務取締役開発本部長

1946年 茨城県出身。1970年 東京農業大学農学部農芸化学科 卒業後、赤城乳業株式会社に入社。1年目から商品開発部に配属される。愛すべき失敗作を生み出しながらも、「ガリガリ君」、「ガツンとみかん」、「ワッフルコーン(大手コンビニPB)」など、数々のヒット商品を生み出す。商品開発だけでなく、開発営業、原価計算、購買、経営等、人事以外の全ての部門に携わった。夏のうだる暑さの中、仲間や恋人、家族と食べたガリガリ君。発売から40年、世代を越えて私たちを楽しませてくれる、伝説的な商品を開発し育てた鈴木氏。講演では商品開発、マーケティング、営業、マネジメント、組織づくりをテーマにこれまでの経験をあますことなく伝える。また約9,000名の講演依頼.comの講師陣の中で、半期に1回行っている講演依頼数ランキングでは、6期連続の1位を獲得し殿堂入りを果たした。

1946年
茨城県水戸市で生を受ける。
1970年
東京農業大学農学部農芸化学科 卒業。赤城乳業株式会社に入社。商品開発を担当する生産部に配属する。
1976年
生産部開発設計課 課長補佐。主任や係長の経験がないなかで、会社が新しいポジションを作ってくれた。
1977年
みかんチョを開発。(1999年にガツンとみかんに名称変更)
1978年
BLACKを開発。たった一人で開発した思い出深い商品。
1979年
生産部開発課 課長
1980年
コンビニ創世記。このときアイスクリーム業界では初となる商品開発者が直接営業をおこない、商品案内と売り場の提案をしていく開発営業をスタート。日本全国のコンビニやスーパーにこのスタイルの提案営業を展開していった。
1981年
ガリガリ君を開発。開発テーマは「赤城しぐれのワンハンド化」。自分のテーマは、ワンハンドの氷バー「でかい、うまい、あたりつき」、 赤城しぐれを否定して赤城しぐれにはないフレーバーを開発した。(ソーダ、グレープフルーツ、コーラ味、他多数)この年からガリガリ君の伝説が始まる。
1984年
生産部 次長。ラーメンアイスを開発。(CMがあるので、YouTubeなどで探してみてください。) この商品は、瞬間的にめちゃくちゃ売れました。コンビニのまえで子供たちが、 店頭入荷を待つ現象が起きるほどに。
1985年
ラーメンアイスの成功体験から、カレーアイスを開発。大失敗でした…。
1988年
生産部 部長
1990年
生産部 取締役部長
1994年
スマッシュというソフト氷を発売。飲料も含めて日販80個以上と当時のPOSシステムの新記録を打ち出す。
1997年
取締役開発部長
1999年
生タイプチョコレートを開発。(2005年旨チョコミルク、2006年に濃厚旨ミルクに名称変更)
2002年
購買部長兼務、常務取締役開発本部長
2011年
常勤監査役
2013年
監査役。赤城乳業でのキャリアの中でパフェアラモード、大手コンビニのリーチンケースを一段独占して全国展開。ワッフルコーン(大手コンビニとの共同開発商品)
2018年
3月 赤城乳業株式会社監査役を退任。

現在はM.ソリューション代表として講演・執筆などを展開している。講演をする上で大切にしていることは、皆様に寄り添うこと、実践で使える内容をお伝えすること、そして共に成長すること。